「多様な人々」と「人の多様性」この両方が理解できることで、より多くの人が尊重され、ソーシャルインクルージョンが実現します。

◆「多様な人々」-世の中には様々な人がいる

 世の中を見渡すと、大人や子ども、高齢者やけがをしている人、性別・背丈・利き手の違う人、妊婦、子ども連れの人、車いすや白杖使用者、音声が聞き取りにくい人・・・そのような様々な人がいて、それらの特徴・要素をいくつも併せもっている人もいたりします。また、外見ではわからない内部障がいのある人やLGBTQの人もいます。外国人と日本人をはっきり分けることも難しくなっています。
 こうした、様々な人(多様な人々)によって社会が構成されていることを認識することが、共生・多様性の視点を醸成する第一歩になります。

◆「人の多様性」

 人は、生まれてから亡くなるまでの間に、さまざまなシーンで、その時々で、何らかの「できないこと」、「困ったこと」、「バリア」に遭遇する可能性があります。
 たとえば、身体的機能の未熟さや低下(乳幼児や高齢者)、予測できない出来事に遭遇することによる一時的な身体的機能低下(ねんざや骨折)、あるいは、継続的な身体的機能低下(交通事故による身体の損傷)、妊娠による身体的擬似機能低下(ゆっくり歩かなければ危ない、長時間立っていられないなど)や育児における乳幼児同伴に伴う身体的機能拘束(子どもを抱くため、子どもと手を繋ぐために手が使えない)など様々な状況に置かれる、あるいは置かれる可能性がある、ということです。

たとえば、次のような経験をしたことはないでしょうか。見聞きしたことはないでしょうか。

<一時的の例>

    ・怪我で松葉杖をついている時、内部障がいがある時、エスカレーター・エレベーターのない駅での上り下りが大変
    ・大きな荷物を持っているとき、改札口が通りにくい

    <身体・年齢・生活的の例>

    ・背の低い人や子どもは、電車の中で手すりにつかまれない
    ・背の低い人や子どもは、手洗い場やエレベーターのボタンに手が届かない
    ・足腰の弱い人やお年寄りがバスを待つとき、辛くて立っていられない
    ・老眼になって小さな文字が読みづらくなったり、小さな音が聴きづらくなる
    ・パソコンやスマートフォンを使い過ぎで、文字が読みづらくなる
    ・パソコンの使いすぎや、子どもを抱きすぎて、腱鞘炎になる 等